祖父の死を悲しめない

 つい昨夜、父方の祖父が亡くなった。1ヶ月ほど前に倒れて緊急入院し、その時は意識を取り戻したものの、数日前にまた意識を失ってしまい、そのまま天寿を完うした。

 突然の別れというわけではなく、父親の口ぶりからもそのときが近いことは頭で理解していた。しかしこうしてその事実を母から告げられ、実家へ向かう父の顔を見てから、自分の感情というものに疑問を感じずにはいられなかった。

 記憶が鮮明な内に、これを言語化して他人に見てもらいたいと感じたので、こうしてブログを開設してまで残しておく。稚拙な文章で、かつ重苦しい話を聞かせてしまい恐縮の至りだが、読んでいただければ幸いである。

 

 私は母方の祖父を幼稚園のときに亡くしている。葬式という場に出て、おじいちゃんが棺が焼べられるのを見送るときに、死という概念を心で理解したあの感覚は今でも忘れられない。

 幼い自分がこのときどのような感情の動きを示したのかを思い出してみる。

 葬儀が始まってからの流れはよく覚えていない。目を閉じたおじいちゃんの顔に花を添えてから、誰かが何かを喋っている内に、その場にいた大人たちの嗚咽が次第に大きくなった。ついに隣にいた父ちゃんがハンカチで目尻を抑え出した。それを見てはじめて、周囲の人間に共感するという形で、自分のストレスを泣くという情動反応に変換することを覚えた。それから、どんぐりのたくさん落ちているあの公園で手を繋ぎながら一緒に歩くことも、タバコの匂いが染み付いた腕で抱き上げられることも、もう二度とないのだと悟って、永遠の別れに対する悲しみを自覚した。父ちゃんのスーツに顔を埋めて泣いた。


 一昨日の段階で「葬式は子の世代まででやることになったから、孫のお前たちは参加しなくていい」と両親に聞かされていた。どういう事情でそのような形になったのかは知らないが、このような別れに対して、私が抱いた感情は悲しみではなく違和感と不安だった。果たして私はこの人の死に対して悲しむことはできるのだろうか。

 そしてこの不安は今日という日を迎えて現実となってしまった。全く悲しめない。


 感情とは脳内で独りでに生み出されるものではなく、身体の情動反応に対する知覚らしい。「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる」という話を聞いたことはないだろうか。であれば更に問いを進めて、何が原因で泣くのかを考えなければならない。

 今回のケースに当てはまると、人が亡くなったことに対して泣くためには、「その人の喪失による膨大なストレス」が原因だろう。つまり私は祖父の喪失に対して(全くないとは言わないが)大きいストレスを感じなかったということだ。

 というのは、近しい存在としての「おじいちゃん」を、私は既に喪失しているからだ。受験勉強に専念しろという理由で、私が高校2年生になってから家族揃っての帰省をしていない(私の受験が終わっても弟が受験期なので、やはり帰省はしていない)。更に言えば、心的距離が離れたのはもっと前からだ。中学生になってからというもの、祖父母と会う喜びよりも、自分の時間を犠牲にしてまで老人に会うことの虚無感の方が圧倒的に勝っていた。今の私にとって、祖父は「たまたま血縁のある赤の他人」である。


 ここまで読んでくださった皆様は、私の為人をどう思っただろうか。人でなしだと思うだろうか。他でもない私も、このような思考を巡らせている自分を気味悪く思っている。素直に悲しめばいいのに、泣かなくていい理由ばかりをつらつらと述べて、何に言い訳しているのか。

 いつからこんな人間になってしまったのか。

 むしろこれが普通の人間なのだろうか。

 人間として正しい在り方とは何なのか。


 悲しむチャンスがあるとすれば、それは葬儀に出ることだろう。別れの場にいれば、幼稚園の頃と同じように、他人から流れこむ悲しみを共有して、泣くことができただろうか。しかし葬式に出られないと告げられた時点で、私と回復の見込みがなかった祖父は、既に死別している。


 この文章は大学の行き帰りに電車の中で考えて書いている。1日の過ごし方は昨日までと何ら変わらない。めんどくさいと思いながら教室で製図の課題をやって、今こうして電車の中でスマホをいじり、帰ったらゲームを始めるのだろう。